美術評論家
A. L. J. ヴァン・ド・ヴァル
ゲント大学名誉教授
パトリック・ジェロラの芸術
A. L. J. ヴァン・ド・ヴァル
パトリック・ジェロラは、1959年ブリュッセルに生まれた。ブリュッセル美術学校卒業後、フランス人モーリス・ベジャール主宰の舞踊学校にて芸術監督を務めたミシャ・ヴァン・ウック率いる「ムードラ」に参加する。ジェロラは東洋という源泉へ回帰することで、バレエ界に新風を送りこむのに才能を発揮した。
パトリック・ジェロラは1983年にブリュッセルを離れ、生活と創作活動の拠点を日本に移す。そして将来のパートナー、飛田智美に出会うのも日本である。
ジェロラの芸術は、旧大陸であるヨーロッパと彼を迎えた極東の国という類まれな二つの文化の結びつきに加えて、彼の多岐にわたる技量を反映している。
また振付との親和性は、その絵画的コンポジションを特徴づける、力強さと気品にあふれたラインから察することができる。その描線は同時に、日本の書道に見られるような筆使いを想起させる。
色彩に関しても、ジェロラはフォルムと色彩を融合させている。鮮やかな暖色系トーンを強烈な光が突き破るように、全体に対し一つのディテールが現れる。ジェロラは作品にオリジナリティを醸し出す色彩を、旧来の伝統的なレシピを現代の「新鮮な」手法によって、自ら調合している点を強調したい。
パトリック・ジェロラの芸術は、旧大陸ヨーロッパと彼を迎えた極東の国という類まれな二つの文化の結びつきだけでなく、彼の多岐に渡る経験を反映するものである。
その絵画作品を特徴づける力強さと気品にあふれる線には、ジェロラが親しんできたバレエの振付との共通点が感じられる。また描線は、日本の書道に見られるような筆使いを想起させる。
色彩に関しても、ジェロラはフォルムと色彩を融合させている。全体に対して、鮮やかな暖色系トーンを強烈な光が突き破るようなディテールが描かれる。ジェロラは、旧来の伝統に従いつつ、自らの手でアフレスコ手法によって色彩を創り出し、作品にオリジナリティを醸し出しているのである。
ジェロラの抱く鮮やかな色彩への思いは、「青と色彩」、「フォルムと色彩」、「庭園」といったアーティストが絵画につけるタイトルからも溢れ出ている。
また、ジェロラの内面に息づく芸術である音楽を、つきることのないインスピレーション源としていることを伺わせるタイトルもある。
「夜想曲」は、夜だけでなく、楽器のためのディヴェルティスマン器楽曲をも連想させる。
「ハーモニー」というタイトルは、耳に心地よい調和のとれた一連の音、あるいはあるひとつの音楽的効果を目指して共鳴する数々のパートを想起させる。
「パーカッション」は、バロック調、あるいはより近代で言えばハンガリーの作曲家バルトークのように、楽器を打ち鳴らしながら演奏する音楽を想わせる。
「鎌倉」のようなタイトルは、日本の高貴な文化都市とその地とジェロラの間の親密な絆の記憶を留めている。
最後に、「アジアの風景」では、アーティストのヴィジョンが私達をこの巨大な大陸の遥かかなたにある水平線へといざなう。
短い分析ではあるが、このようにパトリック・ジェロラの個性、そして生き方が、その絵画作品に響きわたり、見る者を魅了するのである。
最後に、ジェロラは昨今、産業界の要請に応えテキスタイルデザインという課題に積極的に取り組み、評価を得ていることを付け加えたい。
産業デザイン分野における輝かしい実績は、パトリック・ジェロラの芸術活動にとって、さらに新しい道を切り開くものである。
その意味では、ジェロラは、テキスタイルの感性に秀でたフランスの画家マチスのような、多くの巨匠と同じ道をたどっている。
ゲントにて、2004年12月30日